GOENプランニング ノッツェ高知サロン
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今思えば私と主人は、到底交わる事のなかった2本のレールだったかもしれません。二人の性格は、私が動で彼は静。私がアクセルならば彼がブレーキ。
エンジンをかけた車は、右へ左へ走り、目的地へと向かいます。バックして車庫で休んだり、ガソリンというエネルギーをいれ、順調にドライブが行われている間はよかったと思います。
彼のブレーキがなければ日々の生活を送ることが出来ないと、22歳の私は尊敬し信頼し、受け入れていました。私にないものを持っていると認めている間、すべての事に対して努力も我慢もできたと思います。もちろん楽しいことも嬉しいこともたくさんたくさんありました。
昭和59年4月22日てんしゃ(*1)の日、私と彼は、彼のいとこが勤めるホテルで結婚式を挙げました。その後毎月22日には、彼がショートケーキを2コずつ買ってきてくれました。「もう太るからいいよ・・。」と言っても、彼は欠かさず買ってきてくれました。
彼と口論になり、それまで私が隠れて吸っていたタバコをテーブルにたたきつけた後も、きっと怒りを持ったでしょうに、「やめて欲しい」と逆に諭されました。彼の優しさや思いやりに触れた私は、一生懸命に努力し、タバコもやめました。
人を愛する、恋するという気持ちは、どんな事も可能に変えてくれる不思議な魔法じゃないかと思います。
しかしドライブの途中で事故もありました。パンクもしました。そのときの対応は良かったはずだと思います。でも、一体どこに、事故のパンクの原因があったのかと今は思います。
彼だけのせいとは言えません。もちろん私にも原因はあったでしょう。両者の、そして両家の物事への価値観や生活様式全てにおいて、差がありすぎました。大恋愛の末結婚をするカップルでさえも、ひとつ屋根の下に暮らせば問題は出てきます。それを、私たちの様に性格も家庭環境も全く違う者同士が一緒になってうまくいくわけがなかったのかもしれません。
私が「違う!」と疑問点をもちはじめた頃には、どうしようもありませんでした。もつれきった鎖を、どこからほどけばよいのか・・・ほどこうとすればするほど、ますますもつれてしまう・・・。
長女が小学校4年生、長男が2年生の時でした。「今がまだましだ。今なら傷が浅くてすむ!」と必死に考え、私はとうとう離婚に踏みきりました。ここまで読んで下さったみなさまにはおわかりいただいているかと思います。
私の原因不明の発熱で、どれだけ家族に迷惑をかけたかということ。
また、私には幼児教育科卒というプライドがありました。子供達の環境をなるだけ変えたくない。学校はもちろん、子供達を切り離すなんて事は、言語道断だと思いました。少なくとも12年間一緒にいた主人と、義母に対する私の感謝の気持ちを込めて、子供達の20歳までの親権は彼に譲りました。
私一人が家を出ました。
私にとって本当に試練の時でした。仕事を取ったとか子供を捨てたとか世間は色々言いました。「まあ、人は人、自分は自分だから。」義母が良く言ってた言葉を何度も自分に言いきかせました。私がちゃんとしていればいいのだから・・・と
過ぎ去った過去を客観的にとらえ、こうして落ちついて考えられる様になったのも、年月という薬のせいでしょうか。
結婚は、幸せになりたいから、好きになった人と一緒にいつまでもいたいから結婚するんですよね。私もそう思ってます。でも結婚生活もどんづまりでもうこれ以上は・・・となったときは離婚も仕方のないことだと私はお客様に申しあげています。それは、相手のことを思い考え、そして子供のことや、又自分の将来について、お互いが、みんなが幸せになる為に、離婚をする勇気も必要だと思うからです。
結婚も離婚も共通している事は、“幸せになりたい”その一語に尽きると思います。
(*1)てんしゃの日:●天赦日(てんしゃび)
読んで字のごとく、「天が赦(ゆる)す日で、最高の吉日。他にどのような凶がある日でも一切関係なく、絶対的な吉日となる。特に結婚などには最高とされる。
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