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GOENプランニング ノッツェ高知サロン

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私の人生 Vol.01

ワタシも普通の女の子でした

私は子供の頃から、保母さんになるのが夢でした。”保母さんへの道”という作文を書いた記憶も確かあります。ピアノも練習し、高知県内の短大の幼児教育科へ進み学びました。けれど実際仕事となるとたいへん厳しく、単に子供が好きだからなんていう甘い考えでは、到底つとまる仕事ではありませんでした。

 ちょうどその頃、私の母が永年勤めていた衣裳店を退職し、現在の「高砂」を受け継ぎました。今から思えば、前任者が幼い子供を4人も残し病気で亡くなられていなかったら、もしくは母が受け継ぐ決断をしていなかったら、あるいは父親(当時銀行員)のバックアップがなければ、また高砂を応援して下さったたくさんの方々がいらっしゃらなかったら・・どれひとつ欠けても私がこの仕事をすることにはなっていなかったと思います。

 さて、私は19才の短大2年生の秋に、1番目のお見合をしました。当然人並みに恋愛も経験してはいましたが、幼い頃から『恋愛と結婚は別よ』と母にたたきこまれて(笑)いた為、ちゃっかりしてたのですが「洋服も買ってもらえるしー。美味しいものも食べられるしー。」と素直にお見合に応じていました。そしてお見合人数5人目の男性と22才の春結婚をしました。その頃は仲人さんもちゃんと立て、結納はもちろん、結婚式、ハネムーン、帰国後入籍、そしてその後子作り、ときっちり順を踏んで結婚生活をはじめました。

 長男長女とかわいい子供達に恵まれました。子育てはそれなりに大変でした。しかしそこは幼児教育科卒!育児書通りにはいかないまでも、なるだけ学んだ事を実践して、楽しい明るい家庭を築いていました。

試練のとき

しかしその幸せな家庭は、長男が一歳を過ぎた頃から私を襲いだした原因不明の発熱によって、少しずつ歯車が狂いだしました。

 2週間に一度、まるで週末を狙うように3日間も続く39度の高熱。その間は子供や主人、同居の義母、そして実家の両親などみんなに大変な迷惑をかけました。あまりの辛さに、病気を苦にして子供達を道づれに死を選ぶ人々の気持ちも理解できたのもその頃のことです。  中央病院や高知医大などにも入院し、様々な検査を受けましたが、とうとう日本の医学では解明できませんでした。その後東洋医学の鍼や灸での治療も行いました。

 結果、何が効いて治ったかはわからないのですが、身体は少しずつ回復し、ここ3、4年はびくともしない前にも増して強い身体になりました。

 その後、月日はあっという間に流れ、こうして仕事に打ち込める今の健康な自分がいます。が、その間、私は離婚という大きな決断を下すことになりました。

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