GOENプランニング ノッツェ高知サロン
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「ひとりごとを更新しなきゃならないから何か書いてね!」と母である社長に頼んでいました。 「じゃあ合子さんの死について、書いてもかまん?」と私に聞くので、 「何でもどうぞ~」と言ってましたら、便箋3枚も書いており、ひとりごとにしては長く、また 社長の素直な思いが書かれており、社長の本音トークだなぁと思いました。
前回の本音トークは父方の祖母の話しでしたし、母方の祖母の話しが続くのも悪くなく、 ここに掲載することに致しました。 私が小学3年生の時に母方の祖母はリュウマチが原因で心臓も悪くなり亡くなりました。56歳でした。 その後祖父は一人暮らしをしていましたが、数年後に出会った女性と再婚しました。 その女性が合子さんです。私も手編みのセーターをプレゼントしてもらったこともあったり、とても可愛がってもらいました。その合子さんの事を書いた有安久の本音トークです。読んで下さい。
北山合子の死
平成15年7月30日。
「合子さん頑張ってね!」と、言ったら「どうやったら頑張れるがやろう・・・?」 と 笑みをたたえて手術室に入っていった彼女・・・
合子さんとはかつて父の面倒をよくみてくれた母のことです。 父とは数年間再婚生活をしていましたが、一緒に暮らさない方がいいと別 れて暮らしはじめたことが幸いだったのか、以前よりうまく付き合いが出来ているようでした。 踊りが好きで、ちょっとお酒が入ると“勘太郎月夜歌”等、よく踊っていました。 陽気で健康管理にも気遣いながら、老後の生活設計等も人に迷惑を掛けないよう、きちんと段取りもしていました。 ちょっぴり寂しくなると、私や私の兄、私の叔母に電話して、おしゃべりを楽しんだり、1年に3~4回は父も一緒の私達との旅行を楽しみながら、老後を送っていました。
その合子さんが10時間の心臓手術に耐え、手術は成功しました・・・と執刀医の説明があったにも関わらず意識は戻ることなく、 術後3日目平成15年8月3日、帰らぬ人となってしまいました。 元気になれると信じ、体力のある内に手術をしたいと私達の反対を押し切って受けた心筋梗塞と心臓弁膜症の手術。ある程度は覚悟しているからという言葉は聞いていたけれど、78歳はあまりにも早い人生の終幕だと思われてなりません。
「私がもし死んだら、久ちゃん(私の事)が反対するだろうけれど、この身は医学 向上の為、 高知医大に献体する。葬式はしなくていいし、香典も戴かない。お通 夜だけはしてね ・・・」 彼女が40年間働いて貯めたお金の一部は、命の基金に寄付を・・・と 遺言を残して、風のようにあっという間に旅立った義母、合子さん。 彼女には結婚歴はあったけれど、実子には恵まれなかったようです。
現在私の周りには、一生独身で通すという男女がいっぱいいます。結婚しなくてもいいし、子供もいらない? でもでもちょっと考えて下さい。 60歳になり70歳になり親兄弟がいなくなり、友人も少なくなって、独りぼっちになった時、 手を握ってくれる身内もいない寂しい晩年を、あなたはどのようにして暮らしますか? お金を持っているから、病院で最後をむかえるからといっても、ご遺体を引き取ってくれる 身内もいないだなんて・・・。
若い皆さん、結婚しましょうよ。
子供もつくりましょうよ。
家庭をつくれば、喜びも悲しみも分かち合えます。
子供を持てば、人間がひとまわりもふたまわりも大きくなって、
人の心の痛みも判るようになるんですよね。
合子さんは、今も高知医大の冷蔵庫の中で眠っています。 私の胸の中に強烈に彼女の生き様を焼き付けたまま・・・。 2.3年後、お骨になって帰ってくる日を、ただただ祈るような気持ちで待っています。
(有)花嫁衣裳高砂 代表取締役社長 有安 久
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