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GOENプランニング ノッツェ高知サロン

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Ep.40 結婚の必要性

彼の両親が・・・

 今年は全国的にインフルエンザが大流行し、学校・学級閉鎖も相次ぐなど、各方面に影響を及ぼしているとのこと。私共にも「急に熱が出て、どうやらインフルエンザかもしれない・・・。だから○月○日のイベントの参加や、お約束の日に伺うことができなくなっちゃった・・・」という残念そうなお電話やメールをいただくことが多々あります。 私共もドタキャンは大変困るのですが、参加したくて楽しみにしていた当人の無念さが痛いほど伝わってくるし、双方が致仕方ないと諦めるよりほかない状態もまだまだ続きそうです。

 昨年インフルエンザに掛かった私は、今年は絶対に掛かるものか!と暗示を今も掛け続けていますが、風邪やインフルエンザに掛かっている場合ではありませんでした。というのも、前回の本音トークに書きましたが、入院していた彼の父親が1月15日に亡くなってしまいました。3週間の入院が必要・・・と医師に聞かされ、3週間後には退院かと思いきや、遺体となって帰ってくることになろうとは予想もしませんでした。今思えば、アッという間の短い闘病生活であったお父様でした。

  昨年私の祖父がなくなった時も、彼が私の側でいろいろ手助けしてくれたし、彼を支えることが私の努めだと思い、家の片づけや、葬儀、そしてその後のもろもろについても、出来る限り手伝ってきました。何せ彼はひとりっこの為、全て自分ひとりでやらなければなりませんでした。親戚はもちろんいますが、年老いた叔父叔母に何が手伝えるものでしょう。訃報を聞き県内外から駆けつけてきてくれた従兄弟や知人もいましたが、通夜や告別式、精進落ちが終われば、皆元通りの生活に戻ります。結局は後に残された子供のみで、後始末をしていかなければならないのです。

 仏式の為、7日ごとに本膳というものを供えなければなりません。しかし、母親も病気の為出来ませんし、なまぐさを入れてはならないという本膳を、料理は一切出来ない彼が作れるわけがありません。仏具屋さんにフリーズドライの本膳があると聞きましたが、「生き仏さんが大事だ」とよく言っていた元主人の姑の言葉を私は思い出し、「難しく考える事はないよ~。臨機応変にやってもいいのじゃない・・・!?」と彼を慰め、生前お父様の好きだった食べ物を供えたり、故人に形ではなく、気持ちを供えることに致しました。

 水曜日に亡くなったという事は、7日目は火曜日にあたります。したがって火曜日ごとに本膳を供えなければなりません。そんな矢先、今度はお母様が入院してしまうという事態になりました。お父様の葬儀に纏わる疲れや寒さが原因であろうと思います。28日に行われる筈であった『第5回ミーティング・ミーティング』の予定延期のメール配信をさせてもらっていましたが、それらの理由があったということで、takasago happy friendsのみなさま、どうぞご了承下さいませ・・・

ひとりっこ

 その時が来てみないと若い人には理解出来ないと思いますが、私が感じた事をいつものようにそのままを書いてみたいと思います。 前文にあるように、彼はひとりっこだから、兄弟はいませんし、前妻の間に子供もいません。したがって彼のようなひとりっこは親が入退院するときや看病は、ひとりで行わなければならなくなります。(彼には私がいたので、幾分免れはしましたが・・・)で、お父様が亡くなった時のことです。偶然立ち寄ることになった15日夕刻、彼は、病院から危篤の知らせがあったところだと言いながら、急遽店を閉めているところでした。その夜、私は子供達と食事をする約束をしていた月一回のデート日だったので、その事を知って気になりながらも、母と子供達と4人で書店で本を買ったり、中華料理店で食事をして、ふたりの子供を自宅に送りました。その直後、彼に電話を掛けると、繋がらなかった電話が繋がり、「おやじさんが亡くなった・・・」と一言。「今どこ?」と訪ねると、病院を少しでた所を帰っている・・・と涙声の彼でした。

 法律上禁止されていると後に知りましたが、彼は私の教えどおり一旦毛布を取りに自宅に帰り、毛布にくるまれたお父様の遺体を、自家用車でひとりで連れて帰ってきました。happy friendsの友紀ちゃんに「ゆみさん、家につれて帰ってくる時、『今○○スーパーの横を通ってるよ~。喫茶の角を曲がったよ~。いつもこの道通ったね~。お父さん、家に帰り着いたよ~。』と、話しかけながら魂も一緒に連れて帰ってこなきゃいけないんだよ~」ということを、私が教えて貰っていたことを彼に伝えていたので、彼はそのことを思いだし、心の中で実践して帰ってきたよ・・・と話してくれました。母と私は、彼とお父様の帰りを車の中で待ち、出迎えました。私は毛布にくるまれたお父様の遺体を、彼とふたりでベッドまで運びました。お父様の遺体はまだ温かく、亡くなったように思えなかったものの、やせ細った身体なのに、「とても重たいね・・・」とふたりで話した事でした。その後、葬儀屋さんや親戚が訪れ、葬儀の段取り等の話し合いが深夜まで続きました。

 葬儀というものはもちろん費用は要りますが、葬儀屋さんにお願いすれば何もかも行ってもらえるので、何一つ心配はありません。しかし、家の中の片づけや大掃除は全て自分達だけで行わなければならないし、身内の死がどれだけ大変であるかということを、あらためて知った気がします。「私がここまでする必要は無いのじゃない・・・」と、心の中で叫びながらも、無我夢中で彼を援助したあれよあれよの3日間はもう随分前のように感じます。

 私の両親はゴルフ・カラオケ・旅行・・・と趣味も豊富で、腰や膝が痛いと言いながらも基本的には元気なので、有り難いことに肉親の死がどれだけ辛いか・・・ということをまだ私には理解できません。いつかは訪れるであろう悲しみを、少しはシュミレーションできたようにも思いますが、いえいえたぶん想像を絶するくらいの悲しみで、親が亡くなった時は、きっと何も出来なくなるのではないかと思っています。

後継者

 さて、<結婚の必要性>という本題になりますが、現在の日本の合計特殊出生率は1.3%。一家庭に子供が一人になってきていることは、みなさんご存じでしょう。私は「女の幸せは愛する人と結婚し、子供達に囲まれた幸せな家庭を築くことよ。そして子供はひとりじゃダメ。ふたり以上作らなければならないのよ。なぜなら親の葬式を挙げる時、一家庭だけでは寂しいから、二家庭だったら少しは気持ちも身体も楽だと思うからね・・・」と、私がまだ幼い頃から母から教えられてきた言葉を、今しみじみと思い出しています。

 私には遺体を引き取ってもらえ、葬儀を挙げてくれるであろう子供達がいます。子供を育て養い、立派な一人前の大人に成長させていく過程を全うにつとめた人ならば、自分が亡くなった後も、子供達がきちんとあの世に葬ってくれるでしょう。でも残念ながら、結婚しても子供のできなかった人や、結婚していない人はどうなるのでしょう・・・。私の彼もどうなるのでしょう・・・。

 元主人の姑が、私が楠瀬に嫁いだ22~23歳頃、「その人の人生がどうだったか・・・というのは、棺桶に半分足を突っ込んだ頃に、初めて判るものなのよ・・・」と言われた事も思い出しました。若かったその頃は「ふ~ん・・・」って感じだけで、何も深く考える事もありませんでしたが、今は「そうかもしれないなぁ・・・」と思うと同時に、ぼんやりしていてはいけないなぁ~、年を取っちゃって何も出来なくなる前に、やるだけの事をやって、悔いの無いよう一日一日を無駄に過ごさず、あの世に胸を張って堂々と逝きたい・・・と、考えています。だからみなさんにとっても、せめて私の経験を伝えようと思って、こうして“転ばぬ先の杖状態”の本音トークとして書き続けているのです。

 後継者、つまりあととりのことになりますが、本家・分家という言葉も、最近段々無くなってきたように思いますが、もっと真剣に地方自治団体も対策してほしいと思います。が、ひとりひとりがもっと結婚に対して真剣に考え、活動していかなければならないことは、もうお判りいただけたでしょう。

人生80年として、あなたはあと○○年をどう生きていきますか?
もうどうでもいい・・・なんて、ヤケを起こさず、じっくり考え、行動に移してほしいと思います

どうしていいのか判らない人、楠瀬由美がご相談に応じますから・・・

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